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10年近く前に書いたこの記事の親戚の大叔母さんが昏睡状態と、水曜日の夜、母からLINEが来た。

この大叔母さんと、11年前に亡くなってしまった大叔父さんには本当にお世話になっていて。
この小4〜小5にかけての春休みの盲腸の時もだし。

あとは高1の1月だか2月頃の寒い日に、家出してこの大叔母さんのお家へ行ったりした😅
この日、高校への通学の定期代を持ち歩いていた私は、そのお金を使って家出したんだった。

その時もとても大叔母さんにはお世話になった。

『まりやちゃんを叱らないでね!』と母に電話してくださったり。そんな私を横須賀まで送り届けてくださった。

バイトもさせてくれない、コンタクトレンズも作らせてくれない、当時、自分のやりたかった事にも反対され、家出したんだった。
普通に平日だったので次の日は普通に学校は休んだっけな。

でも高2の夏にやっと念願叶ってバイトもして、その初給料でコンタクトレンズを買った。
やりたかった事に関しては高1の冬頃から徐々にチャレンジさせて貰えるようになった。

そんな事もそういえばあったなぁ!と今日久しぶりに思い出した😅

その物凄くお世話になった大叔母さんも95歳になりグループホームに入所されていて。

10数年ぶりに会った大叔母さんの寝たきりの姿を見て、

『ご存命の内に会えて良かった!』
とも思ったけれど、
『今まで沢山お世話になった大叔母さんが変わり果ててしまい悲しい』
という気持ちもまた、出てきたり。

…多分後者の気持ちの方が勝っているからなんだろうな。
昔元気だった大叔母さんが今では話す事も出来なくなっていて、もう長くないんだと思うと辛くなった。

お昼ご飯は母のイトコの方々と、一緒に美味しいうなぎをご馳走になった。
うなぎ、久しぶりに食べたなぁ。美味しかった😋

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このお昼ご飯を食べた時までは母のイトコの方々と昔話をして、大叔父さんの面白かった冗談の話をしたり、その私の家出事件のネタを話したりでゲラゲラ笑っていたんだけどね。

その後に大叔母さんのお見舞いに行ってから物悲しい気分になっている。

人間、生き物はそれはいつかは最期の時を迎えなきゃいけないのは解っている。

だけどお世話になって、物凄く大好きだった大叔母がもうじき亡くなるのかと思うと、やっぱり辛いね。

行って良かったと思ったのは、昏睡状態の筈の大叔母の手を握って、
『神奈川から来たよ!』
って声をかけた時に、殆ど閉じている瞼を一所懸命に開けようとしてくれていた事と、イビキみたいな音しか口から出していなかったのに、頷いてくれた事。

私と母の事をちゃんと解ってくれたんだと思いたい。